Today is a bad health day–my hair looks a lot thinner at the front and I have a bad headache and hurt all over. I’m feeling really stressed with school. I have to have my Japanese essay down pat for the 4th or 5th of February. Only about a week and a half.

ugh.

I am going to post a copy of my Japanese language essay here. I’m working on it as we speak, so maybe I’ll post a recorded version when I’m done!!!

eek.. it’s so hard to do this and Tomiko doesn’t appear to be tutoring anymore which makes me very sad… she was awesome. I loved her… so much.

Anyway, on with the essay…

千羽鶴~私たちの願い

1945年8月6日、世界はその運命を永遠に変えることとなりました。その日の午前8時15分、日本の広島に落とされた一発の原子爆弾によって。この原爆で14万人もの人々が亡くなり、さらにたくさんの人が瀕死のけがを負いました。この時、佐々木禎子さんはまだ2歳で、幸い禎子さんも家族もみな無事でした。しかし、原爆の威力は想像以上にすさまじく、後に禎子さんは白血病になってしまいます。原爆投下から10年後のことでした。
日本では、昔から千羽鶴を折ると願いがかなうという言い伝えがあります。友達からそのことを聞いた禎子さんは、「もっと生きたい。」と祈りながら鶴を折り始めました。しかし、1955年10月25日、禎子さんは644羽目を完成させたところで亡くなってしまうのです。禎子さんの遺志を受け継いだ友達は、それから残りの356羽を折って千羽鶴を完成させ、さらに、禎子さんの手紙を本にまとめて出版しました。やがてそれが日本全国のたくさんの若者の心を動かし、原爆で亡くなった子供たちの記念の像を作ろうと全国からたくさんのお金が集まりました。こうして、1958年広島平和記念公園に禎子さんの千羽鶴の像ができたのです。像には、「私たちの叫び。私たちの祈り。それは世界の平和。」という言葉が刻まれています。
禎子さんが亡くなってから30年後の1985年。私は親友のメリッサと一緒に私の11歳の誕生日をお祝いしていました。その2ヵ月後、メリッサは白血病と診断されました。ちょうどその年は広島に原爆が落とされてから40年目の節目の年で、私が禎子さんの千羽鶴の話を初めて知ったのもその時でした。それから、メリッサと私は9月に鶴を折り始め、11月2日の朝にはもう千羽目が完成していました。すると、その2週間後、メリッサは退院することになったのです。私たちは一緒に楽しいクリスマスを過ごしました。私たちは千羽鶴が願いを叶えてくれたのだと思いました。しかし、そんな私たちの願いもむなしく、クリスマスから4日後の(1985年)12月29日、メリッサは突然亡くなってしまいました。前の日の晩、いつもどおりご両親におやすみのキスをして眠りに就いたメリッサは、次の日の朝になっても目を覚ますことはなかったのです。
私はまだメリッサと一緒に折った千羽鶴を大切に持っています。羽はもうよれよれになっていますが、私はそれを見るたびにメリッサと一緒に過ごした日々をなつかしく思い出します。そして、わたしは今でも毎年千羽鶴を折ってメリッサと禎子さんと世界中の子供たちのためにと広島平和記念公園に送っています。しかし、今年は自分のために折ろうとも思っています。実は去年の12月に自己免疫疾患という病気だと診断されました。これは自分の体が自分の体を異物として攻撃する病気です。中には亡くなってしまう人もいますが、ほとんどの人はまた元気になれるそうです。今年は自分の病気もよくなるようにと千羽鶴に祈りを込めたいと思っています。
私はもう今年の千羽鶴を折り始めています。今年はよれよれになった一羽の鶴も広島まで一緒に旅をさせてあげようと思っています。その羽には「私たちが世界を変える第一歩にならなくちゃ。」と書いてあります。それは、20年以上前に亡くなったある11歳の美しい少女によって書かれた言葉。私はこの病気に打ち勝って、これからも幸せに生きていきたいと思っています。そして、広島から平和の大切さを学んだこの世界で私の息子(むすこ)が幸せに生きていくのを見届けたいのです。そんな平和な世界で息子は私を見てこんなことを聞くかもしれません。「ねぇ、お母さん、”戦争”って一体何だったの?」

>.<

Advertisements